労働基準法36条で定められている、いわゆる36協定や、働き方改革が声高に叫ばれるようになって、長時間労働、残業がワルモノあつかいされるようになってはや幾年。
いや、私も長時間労働をよしと思っているわけではないのですが、「働き方改革=長時間労働の是正」であることには違和感を感じています。そう思っている方も多いと思います。
しかし、「長時間労働がなぜいけないか」を問われたとき、そもそも残業がなぜ発生しているのか、残業は悪なのか、なぜそれを是正したいのか、しなければいけないのか、をうまく説明できずにいました。
36協定を振りかざしても「ルールだから」としか言えず、個人の生産性の問題と決めつけるのも不自然。メンタルヘルスケアのためだよと言いたくても、残業している当の本人が、残業することに違和感を感じていない(むしろ元気に残業している)のを見ると、「メリハリがあればいいのかなぁ」とか「たしかに残業代も入るしね…」などと思ってしまう。
そんな残業がなぜ生まれたのか。を解き明かしているのがこの本。
「残業学 明日からどう働くか、どう働いてもらうのか? 」
日本の長時間労働はどのようにして始まり、根づいていったのか、について解き、「集中」「伝染」「遺伝」するという残業の特徴から、「個人に起因するものではない」と解説。長時間労働を「組織の問題」と捉えることから考え始める必要があるのだと理解しました。
「個人に起因しない」とすると、残業している本人に解決を求めるのは間違いで、マネジメントとして組織を変革していかなければならないことに気づかされます。
組織にとって何が大切なのか、重要な数字は何か。をマネジメントから明示して浸透させていくことが必要なのだとわかりました。