知者は水を樂しみ、仁者は山を樂しむ

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どういう認識で言っているのか

職場での打ち合わせ。

チームで仕事をしていれば、そこにはコミュニケーションが生まれます。コミュニケーションが生まれれば、認識のずれ・齟齬や、思惑の違いなどが発生する可能性を常に孕んでいます。認識の一致度合いを100%にするのはおそらく不可能でしょう。手順などは明文化できても、解釈の違いをなくすことは難しいと思いますし、コスパ的にも見合うものではありません。

 

「私は〜の認識です」「こういう認識なんですけど

ビジネス会話で使われることの多いこの表現。日本語として間違っていないのですが、どことなく他人事のような雰囲気があるように感じます。「他の方の考えは知りませんが、私はこう考えています。」というような、目前の事実や問題との間に一線を引いているような、そんなイメージです。

 

文脈によっては、無用な軋轢を生まないための自衛策であるかもしれません。
別のシチュエーションでは、相手からの意見などを受けて、「あっ、そういう認識はなかった!」と発見するケース。「認識合わせしましょう」というような建設的な使い方など、「認識」の表現そのものに悪いイメージはないでしょう。

 

それでも、冒頭にあげたような表現で言われると、「私には責任がありません」と表明されている気がして、あまり健全ではない気がします。自衛も過ぎると「自分良ければ」みたいな雰囲気に。

 

認識、認識と言っているけど、どういう認識で言っているの?

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