知者は水を樂しみ、仁者は山を樂しむ

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やりたいこと、できること、期待されていること

佐々木どうよ。です。

 

※もっともらしく書いていますが、たいした内容じゃありません。自分の思い出話です。ご容赦。

仕事は選べるのか? 

先日、購読しているメルマガに、「55歳以上社員のトリセツ」なる記事があり、「好きなこと、得意なこと、社会から期待されること、収入が得られること」の交わった部分が「生きがい」として感じられるのだ、と説いていました。この図を見て、私はあっと思いました。

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(該当記事から引用)

 

15年ほど前、あるきっかけ(後述)で、「やりたいこと、できること、期待されていること」の3象限が頭に閃いたのですが、それがほぼこの図のとおりだったのです。

これがきっかけで、15年前を振り返ってみることになりました。

ではその15年前に遡ってみましょう。

 


やりたいのにやらせてくれない、できるのにやらせてくれない、という「くれない族(この呼び名は、和田裕美さんの書籍より)」だった当時の私。

周囲とのコミュニケーションや人間関係に行き詰まり、知人が紹介してくれたNLPの講座を、藁にもすがる思いで受けてみたのです。(あまり誇張ではなくほぼ実話)

 

そこで学んだことのひとつが、「一つの事実には、見る角度によっていろいろな意味が隠されている。対立しているように見える2人も、実は同じ一つの事実を見ている」こと。お互いが「自分は正しい、相手が間違っている」と思っていたり、多くの人が一つの事実を違った考え方で捉えるとするなら、事実は「多面体」でできているのではないか?

 

そんなふうに考えて、さらに出会った言葉が、「歴史とは、矛盾を孕んだ多面体である」というもの。日経ビジネスアソシエに連載をされていた、ジャーナリストの蟹瀬誠一さんの記事に載っていた言葉です。私にとっては衝撃的な一文でした。

よく「勝者の論理」「敗者の論理」だとか、「歴史は勝者によって書かれる」などと言いますが、それこそが「歴史が矛盾を孕んでいる」というもの。「歴史」を「事実」と言い換えれば、NLPで学んだことと結びつくではありませんか。なんとまあ。

 

そこで最初のくれない族の嘆き「やらせてくれない」は事実ではありますが、その事実を反対側から見てみるとどうなるのか?「やらせたいと思えない」のではないだろうか、と朧げながら見えてきました。

なるほどそうか。やらせたいと思ってもらうようになれば良いのか。

すると足りないのはなんだ?

 やりたいという気持ちか? いや、それは十分ある。

 能力が足りていないのか? もしかするとそうかもしれない。

 期待されることか? その可能性は大きいぞ…。

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(当時の考えを整理したもの)
 

一朝一夕で変わっていったのではありませんが、こうした気づきの積み重ねが今に続く学びの道を作ってくれていたのだなぁと感慨に耽った秋の夜長でした。

 

 

では、今宵はこれにて。

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