知者は水を樂しみ、仁者は山を樂しむ

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「そもそも」「本質的に」という口癖が与える印象

佐々木どうよ。です。

 

相手が語る様子を見て、「気持ちのいい話し方だな」と感じたり、「なんとなくこちらの言いたいことを受け入れてくれない感じがする」と思ったり、いろいろな印象を受けると思います。相手の話を遮らずに聞く、被せて話を始めない、など会話で注意すべきことについては、いろいろな書籍や記事で述べられています。

 

ここでは、最近気になっていた「そもそも」「根本的に」といった口癖が相手に与える印象について、私の考えと感想を書いてみようと思います。

ちゃぶ台返しのイラスト 

人それぞれいろいろな口癖がありますが、なかでも「そもそも」「本質的に」「根本的に」という表現は、一般的には「論理的、知的である」印象を与えるもののようです。

問題をイチから捉え直して、論理的に述べようとするときの言い方ですね。議論が交錯・膠着した場合に、問題をスタートラインに立ち返って考えたりすることを周囲に促す効果もあるようです。リーダーシップのある人、イニシアチブを握ろうとする(意識的にせよ、無意識にせよ)人が発する傾向があるとか。

 

 

私が最近感じたのは、どちらかといえばネガティブな印象です。

 

ある程度進んだ議論の途中で、

 「そもそも私はわかっていないので・・。」

という発言。議論についていけなくなったので(発言できなくなりそうなので)早々にこの議論から退出させていただきます。といった気持ちが透けて見て取れた気がしました。最初からこの話に入るつもりはなかったのです、と。

 

そう言われてしまったた側としては、「だったら最初に言ってくださいよ。スタートラインが揃っていないなら最初に合わせたのに。今までの議論はなんだったの」と感じてしまい、白んでしまったシーンを見たことがあります。

 

 

本質的に」「根本的に」に続いて出てきそうな言葉は、「間違っている」ではないかと。

議論を引き寄せよう、まとめようとする発言で、冒頭の「論理的な印象を与える」効果はありそうですが、受け止める側としてはとっさに「否定される」気持ちになり防衛的な反応が生まれそうです。特に、ある程度は正しいと思って発言や議論を重ねてきた立場としては、ここまでの話をひっくり返される気持ちになり、それ以上の発言をしにくくなる恐れが出てきます。

 

もちろん、どの発言も、そのシーンや相手に応じて適切に使えたのなら、印象もポジティブになり、議論も建設的になっていくでしょう。口癖にも功罪両面があることを忘れずに使いこなしていきたいものです。

 

 

では、今宵はこれにて。

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