佐々木どうよ。です。
戦国時代にテレワークがあったら
「麒麟がくる」を見ていて、「戦国時代にテレワークがあったら…」なんてことを想像してしまいました。以下、西村まさ彦がやっているとおもしろそう。
光綱「なぜあのようにバラバラと戦っておるのじゃ!」
家臣「みな接触を避けておりまする!」
光綱「光秀の援軍はどうした! まだ参らぬのか!」
家臣「はっ! 本日は在宅勤務でござりますれば」
光綱「ええい!何を申しておる!?」
家臣「緊急事態でござりまする!」
ともあれ。
緊急事態宣言の解除
そんななかで、「在宅勤務で成り立っているのだからこのまま継続したい」「出社する意味はなんなのか」などという意見がメンバーからも上がってきています。「社員の命を軽視するのか」やや過激な意見も。
その気持ちは理解できます。私もまだ、電車に乗って通勤することには心理的な負担を強く感じます。職場にあっても、仲間とはいえ、他のメンバーの健康状態には疑念が生じてしまうであろうことは否定できません。まして、仮に帰属性の高くない組織に属している場合はなおさらでしょう。
インターネットが物理的な距離を超越してきたように、社会はいずれリモート化していくことだろうと思いますが、それには長い過渡期を経ていかなければなりません。
もう少し短期的に「在宅勤務の継続」に関して考えるとき、在宅勤務を「選択する」主体は誰なのかについて考えなければならないと感じました。
オフィスに在勤することを前提としていないのは、スタートアップをはじめとする比較的若い企業が多いのではないかと思います。多くの企業においては、在宅勤務制度はあるものの、利用目的は育児や介護などにある程度限定されているのではないでしょうか。
社員は家庭事情を理由に在宅勤務制度の利用を会社に申請し、会社が社員に対して利用を認める(あるいは認めない)。社員が、会社の制度を「選択している」わけです。
会社側が「原則在宅勤務」と言い始めても、惑わされてはいけない。
こんどは会社が在宅勤務制度の利用を「選択している」ことになります。
やれやれ、この不安な時代に会社に行かなくてもよくなったぞ。とだけ思っていてはいけないような気がしませんか。テレワークを始めてから、
いかがでしょう。
もちろん企業に依りますが、会社はその手当をしてくれているでしょうか。なりゆきで自腹になっていませんか。会社が在宅勤務を「選択している」のに、経済的にも心身面でも、負担しているのは社員個人というのはおかしくないでしょうか。
一般的にいえば、会社は社員に対し、福利厚生の一環として職場環境を整備することになっていると思います。机・椅子、パソコン、プリンター、更衣室や制服に至るまで。給湯室などもそうですね。これらの設備・什器類は会社がその設置を負担して、社員に対して支給する形をとっているはずです。
その負担が「原則在宅勤務を」という旗印のもと、社員へすげ替えられたとしたらいかがでしょうか。単純に「在宅勤務で仕事が成り立っているので継続したい」との意見だけでは自分の首を締めることになりかねません。
私の職場に、「狭くてもいいから仕事を頑張るために『職住近接』、会社の近くに家を借りた(買った)」という考え方の後輩がいました。
会社が「在宅勤務でよろしく」と言ったらどう思うでしょうか。
通勤時間の概念がなくなるので、狭い部屋だけが残ります。そしてそこは、仕事をするのにふさわしい場所ではないはずです。
仮に「大きな椅子と机を買えるように手当を出すよ」と言われたところで、そもそも都会の狭い家に住む必要がないのです。
それでも「在宅がいい」といえますか?
在宅勤務も出社も良いです。
しかし、テレワークか出社かの二元論ではなく、当然ながら折衷案もあるでしょうし、特にこの段階的な解除となる過渡期における過ごし方が、ウィズコロナの働き方のモデルになってくるのではないかと感じています。落とし所をさぐっていく期間が当面続くでしょう。
現時点の私の考えとしては、その働き方を誰が「選択する」のかを意識しておかないと、「負担」との関係が朧になりかねないぞ、ということです。
では、今宵はこれにて。