[初稿:2019/8/15 改訂:2020/8/24]
佐々木どうよ。です。
気分の悪くなるニュースが続いていますね。。
おとなりの国とはますまず泥仕合の様相だし、二大大国では「目には目を」のやりあい、ロケット大好きな国は無邪気に飛ばしているし。
そして、狭い国土を騒がしているこのニュース。
PRESIDENTのサイトで妙に納得した記事がありました。
たしかに怒りを感じるし、許せないと思いますが、その心理の背景には「「安心」と「怒り」の対象にうってつけ」だという理由があるといいます。風貌も行動も「こりゃ悪いヤツだ」というイメージにぴったり。
しかし「なぜ日本中が」への答えの一つとして、
自分は「ただしい側の人間だ」と思いたい
の一文にはハッとさせられました。気持ちや行動がエスカレートするとき、私たちの心には「自分はただしい」という気持ち・思い込みがあることを否定できないと思いませんか。それに同調したり賛同したりする人が現れると、その人を仲間だと思い、ますます「自分はただしい側の人間だ」という思いを強くするのではないでしょうか。
最近発生している異国の暴動も、(理由も理解できますが)それがエスカレートしている側面もあるのではないかと。それをもっと極大化したのが自国主義なのかもしれません。
以前の記事でも紹介した「サピエンス全史」には、こうした記述もありました。
二元論が非常に魅力的な世界観なのは、人類の思想にとって根本的な関心事の一つである、有名な「悪の問題」に、それが短くて単純な答えを出せるからだ。
「ただしい側」「悪い側」も、二元論に基づいた考え方かもしれません。短くて単純な答えを出すには、向こう側を「悪い側」と思えば良いのです。人類の思想とはそうしたものです。といってニヒリズムに浸りたいわけではありませんが…
あおり運転も暴力恐喝も許されるものではありません。それはそれとして。
PRESIDENTの記事と「サピエンス全史」の記述に、妙に共通点があるなと感じました。
ちと暗い記事になってしまいましたが、今宵はこれにて。
(2020/08/24追記)
「ファクトフルネス」の本に、「犯人探し本能」という章がありました。
人は自分の好みに合う悪者を探そうとする。
自分を戒めねばなりませんね。。詳しく第9章を。